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「はな子」のストーリー
(井の頭自然文化園)



東京都武蔵野市の井の頭自然文化園に、還暦を過ぎたおばあちゃんゾウがいます。名前は「はな子」。1949年、戦後初めてのゾウとしてタイから日本にやってきたゾウです。

戦後初めて日本に来たゾウの「はな子」

戦後初めて日本に来たゾウの「はな子」

タイからの最初のお引越し先は、恩賜上野動物園(以下、上野動物園)でした。当時のはな子はまだ2歳半で、体重407kgの、まさに小さくてかわいい子どものゾウでした。その愛らしさから、はな子はすぐに上野動物園のアイドルになりました。

しかし、7歳のときに井の頭自然文化園へ引っ越したあと、彼女の人生は思いもかけない方向へと動きます。

はな子は、井の頭自然文化園に移って2年目、9歳のときに、深夜、酔ってゾウ舎に忍び込んだ男性を踏んで死なせてしまったのです。このことが原因で一時期、鎖につながれていた彼女は、13歳のとき、今度は飼育係の男性を踏み殺してしまいました。

はな子のこういった事故は、新聞にも大きく取り上げられました。実は二度とも人間の不注意から起きた事故だったようですが、はな子は「殺人ゾウ」としてのレッテルを貼られ、暗いゾウ舎の中で鎖で繋がれる生活を送ることになりました。

「殺人ゾウ」というレッテル

はな子にとって、それは精神的苦痛以外の何物でもなかったのでしょう。以来、エサをほとんど食べず、身体はやせ細っていくばかり。そして人間不信はその目にはっきりと現れていたといいます。そんな状態のはな子の世話を希望する飼育員は誰もいなくなりました。

そんな中、はな子の運命はまた回り始めます。

1960年の6月、当時、多摩動物公園で子ゾウを担当していた山川清蔵さん(故)が、はな子の飼育係として井の頭自然文化園にやってきました。

山川さんとはな子との30年間のはじまり

山川さんは、人間への敵意をむき出しにギラギラと睨み付けてくるはな子に対し、決してひるむことはなかったといいます。そして、着任してわずか4日後には、はな子の鎖を外し、そこからまさにつきっきりで世話を始めたのです。

つきっきりといっても、山川さんは何か特別なことをしたわけではありません。出勤してすぐはな子のもとへ向かい、朝ごはんの世話をし、身体をきれいにして外へ出るおめかしをしてあげる。この繰り返しでした。

井の頭自然文化園での山川さんの仕事は、はな子の世話だけではありません。朝、はな子とのひとときを持った後は、兼任で担当していた他の動物たちの世話へと走り、それが終わると休憩もとらずにまたはな子のもとへと走ります。そしてバナナやリンゴを与えながら、はな子にふれ、話しかけるのです。

事故の記憶が残る来園者から「人殺し」と、はな子への罵声が飛んだときは、興奮する彼女に寄り添い、いつも楯になりました。

はな子の心の鎖を外したのは、山川さんの思いと6年の歳月だった

そんな山川さんとの日々の中で、はな子は少しずつ心を開いていきます。ときには、山川さんの手を舐めるようにもなりました。それまでには、何と6年もの月日が流れていたといいます。1ヵ月間、鎖につながれていたはな子の心の鎖が取れるのに、それだけの月日が必要だったのでしょう。ゾウも人間と同じように心に深い痛みを抱える生き物なのです。

山川さんは、定年を迎えるまでの30年間、ひと時も離れずはな子に寄り添いました。自分の身体が、がんという病に蝕まれていることにも気づかずに。そして定年から5年後、この世を去ります。

還暦をとうに越え、それでも今も、井の頭自然文化園で来園者にその姿を見せてくれている、はな子。こんな物語があったことに少し心を寄せ、会いに行ってはどうでしょうか。

もうひとつ、心温まるお話を。山川さんの息子さんは、山川さん亡き後、飼育員のひとりとして、チームではな子の世話をされていたそうです。

CXg